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大阪DOの会と環境芸術

え・・。今、個人的に注目している、大阪DOの会の1970年代の動向。
姫路にこんな会ができたらなー。と思う次第です。

「造形遊びと環境芸術との接点」
 子どもの造形遊びと環境芸術とは多くの類似点が見出せる。さらに,宇田秀士らの研究者は「造形遊び」について,その誕生期の1960年から1970年代初頭において,当時の現代美術の動向が深く関わっていたことを,指摘している。
そこで,宇田秀示の論文「小学校図画工作科における初期『造形遊び』の内容 -学習指導要領図画工作編昭和43年版と昭和52年版をめぐって-」や「DOの会・大阪児童美術研究会F部会」に所属していた板良敷敏による「DO宣言文」を参考に「造形遊び」登場の背景にあった環境芸術との関係を考察する。

1 「DOの会」と環境芸術
『昭和52年度学習指導要領』で,図画工作科の低学年に登場した「造形的な遊び」(現在の「造形遊び」)は,全身で働きかける活動(行為)によって,自然材や生活廃材(材料),さらに生活空間(場所)から,作りたいもののイメージを導き出す造形活動だった。
この造形遊びを,1970年当時,肯定的に受け止めた教師群と否定的に受け止める教師群がいた。その肯定群に,板良敷敏らによる「DOの会」があった。
このグループは1970年代前半の絵画コンクール全盛期,パターン化された描画指導一辺倒だった美術教育を批判し,子どもの遊びに見られる「もの」や「空間」への挑み=「行為」等に着目した考え方で,図画工作の授業を展開できないか,模索していた。
この「DOの会」は,有志のグループ活動としての「Zooの会」から始まり,1973年からは,大阪児童美術研究会の研究部会(F部会=Doの会)として「明日に役に立たない美術教育を考える」をテーマに研究活動を展開した。
この会のリーダー格であり,後に教科調査官になった板良敷は,1978年,『教育美術』誌上に「行為の美術教育―『もの』と『空間』の設定による実践報告」を発表し,その中で以下の「Do宣言文」を発表した。
「美術教育は子どもを行為に駆り立てることである。造形活動は行為に発し,行為に終わる。色や形による表現は,今日風化している。美術教育は現実に立ち向かう力を培うことであり,色や形で子どもを縛るのではなく,行為するエネルギーをコントロールすることができる力を獲得させることである。それは机からの解放を意味し,『環境』や『もの』に目を向けさせることである。美術教育は,明日には役に立たない教育である。活動の無目的,色や形に対する無制限,従来の絵画観に対する無価値・無意味なものの中に子どもの興味・関心を見出すことである。我々は,指導者であるよりも時間・空間・場・素材の提供者でありたい」。
板良敷が,1978年に「大阪児童美術ニュース」の誌上で「Do宣言文」を解説した報告書「行為としての美術のバックグラウンド」によると,宣言文がめざす「行為としての美術教育」が最も勇気づけられ,暗示を受けた芸術に,アクション・ペインティングやハプニング・アースワーク(環境芸術)などの現代美術があったとしている。


宣言文の「机からの解放」という言葉は,環境芸術が美術館からの解放をめざし「芸術の環境化」を図ったことを連想させる。また,「環境やものに目を向けさせる」は,イギリスの環境芸術家達が石・岩等を素材として用いた「環境の芸術化」の動きと通じるものがある。
 また,宇田は,「Doの宣言文」にある「指導者であるよりも時間・空間・場・素材の提供者でありたい」と述べるF部会の教師達に,当時,関西で活発に活動していた「もの派」や関西作家グループ「ザ・プレイ」の動向が少なからず影響を与えたとしている。
by kazukunfamily | 2010-09-11 10:29 | 博士をめざす方へ

子どもとアートとict教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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