鉛筆画と毛筆画の論争

1885年頃、鉛筆画と毛筆画のどちらがいいか、真剣な論争が行われていたのです。
なぜなら、その頃の手本(教科書)「小学習画帳」は洋画家、浅井忠編纂で、鉛筆画オンリーで日本の風景が臨画用に描かれていました。この背景には当時の洋画熱が大きく影響していたと思われますが、日本画の人たちにとっては面白くない。そして、この状況が1887年まで続き、ある人が待ったをかけた。それは日本人ではなく、ななんと、フェノロサでした。
かれは、図画教育が西洋の方法のみを行われていることに疑問をいだき、岡倉覚三などと協力して、その誤りを指摘しました。そして、普通教育においては日本画の技法を採用すべしと訴えた。そして、毛筆画が指導されるようになりました。
この背景には、国粋熱のひろがりがあり、洪水のように毛筆画手本が出てきました。
そして、1897年ごろには鉛筆画と毛筆画との得失論が盛んに議論されたようです。

何か、指導法も社会の世論(誰によるものかが大事ですが)に左右されていたようです。
さしずめ今なら、毛筆画の盛り返し時期?

次回は、この論争の結末を説明。
さて、どちらが勝利したのか?
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by kazukunfamily | 2011-03-26 19:00 | 教授の図工実践

子どもと環境とアート教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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