自由画教育の時代
2011年 03月 31日
大正の自由思想を背景にこの考え方は全国にひろがりました。その中心が山本鼎(かなえ)です。
その人の言葉がいいですね。
「子どものお手本を備えて教えてやらなければ画は描けまいと思うならおおもちがいだ。我々を取り囲んでいる豊富な自然は、いつでも形と濃淡で彼ら等の目の前に示されている。それが子どもらにとって唯一のお手本なのだ。それらのものが直感的に或いは幻想的に自由に描かれるべきなのだ。教師の任務はただ、生徒らをこの自由な創造的活動まで引き出すのだ」
当時には、「クレヨン」も発売になり、新しくて明るい感じとして受け取られた。
この考えには図画科を美の陶冶とし、さらに子どもの表現心理を重んじるところは、臨画に比べ大進歩といえました。
しかし、その精神とは乖離し、自由画教育は絵画表現一本となり、しかも手本を離れた表現態度は、いつのまにか自然主義的な写生画にしばられることとなりました。
また、その指導も自由を通り越して、放任となり、教育的見地から反省がせまられました。
山本鼎(かなえ)のことは、山本鼎物語―児童自由画と農民美術 信州上田から夢を追った男 [単行本] 神田 愛子 (著)に詳しいです。
一読を。