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審美的共感と環境教育

この審美的共感と環境教育との関わりについて、精神医学者の神谷美恵子博士は、
「審美的感情というのは、何も色や形に関するモノばかりではなく、 もののバランスに対する感覚も含んでいるのではなかろうか。し たがって出会う人間社会の諸々の現象に対しても、あまりに度は ずれなものや、グロテスクなモノ、みにくいものに本能的に反発 をいだく根になるのではなかろうか。また、現実への過度の密着 をふせいでユーモア、滑稽、おかしみ、もののあわれなど、心の 旅に微妙な味わいを付け加えるのではなかろうか。」(「こころの旅」神谷恵美子 日本評論社 1974年 p51)

美の感情は人間の行為に深みを加える、それは自らが関わる対象が、美しいというだけでなく、「おかしいな、何かずれているぞ」と外面的だけでなく、対象の内面(心情)の醜さをも見抜いてしまう力を持っている。さらには、「これはおもしろい、楽しい、風流だ」というものを見抜いたり、自らがそれを行動にうつしたりできる原動力にもなりうる。子どもの豊かな審美的な感情に裏付けられた共感力は、美術、図工の時間だけで発揮されているのではなく、多くの環境(自然、文化、人)とふれあう日々の生活の中に微妙な味わいを加えてくれているのである。
さらに、この審美的な心と環境保護(エコロジー)の関係をイディスコップは次のように語っている。
「エコロジーは、審美的な知覚と洗練された思考の組み合わせを要求する」(「イマジネーションの生態学」イディス・コップ 思索社 1986年 p32)
環境保護への取り組みには、確かに環境における様々な被害を科学的に分析し解決する思考が必要である。しかしながら、一方からの視点からだけだと、エコロジー(生態系)と自分自身との関わりは把握できないのである。例えば、松食い虫を駆除しなけれないけないと、松のある山林に殺虫剤をまく、科学的には正しいかもしれないがそれにより、雑木林にいた昆虫は死んでしまい。それを餌にしていた鳥たちもいなくなる。それにより鳥や虫たちがいたことで、バランスがとれたいた林は弱ってゆく。これが、私の住む家の前で起こっている。山の松林は今全滅し、そして、もう虫は減少してしまった。これは、防虫剤が、山の生態系にどのような影響を及ぼすかの視点が欠如していたからである。
 審美的な心(共感)は、自分もその生態系の一部として広い視点で対象を美的(バランス・ユーモア感覚も含めて)に判断する。審美的共感(感情)に支えられて、知識(科学)を使うということが、よい手に科学をにぎるということではないかと考える。もし、科学的な権威だけでなく、自然全体を見渡すことができる美の権威が働いて防虫作業で行われていたならば、こんな林の現状はおこらなかったはずである。
殺虫剤をまく、科学的には正しいかもしれないがそれにより、雑木林にいた昆虫は死んでしまい。それを餌にしていた鳥たちもいなくなる。それにより鳥や虫たちがいたこと(松がれの林、弱る木々)
で、バランスがとれたいた林は弱ってゆく。これが、私の住む家の前で起こっている。山の松林は今全滅し、そして、もう虫は減少してしまった。これは、防虫剤が、山の生態系にどのような影響を及ぼすかの視点が欠如していたからである。
 審美的な心(共感)は、自分もその生態系の一部として広い視点で対象を美的(バランス・ユーモア感覚も含めて)に判断する。審美的共感(感情)に支えられて、知識(科学)を使うということが、よい手に科学をにぎるということではないかと考える。もし、科学的な権威だけでなく、自然全体を見渡すことができる美の権威が働いて防虫作業で行われていたならば、こんな林の現状はおこらなかったはずである。
(図審美感と環境との関わり1)
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審美的共感(感情)は人間のもの感じる(知覚も含めて)てなかでは重要な働きをしており、3才からくらいから芽生えたあと*14周りの環境(親・友達・文化・学校等)に触れ合い、その力を発揮しながらいろいろ学び育っていくのではないか。よって、ふれあったモノを、また、そのときの自分の行動を「美しさや快さ・畏敬・人情・いのちのいとおしさ等」の心に美的価値を感じる力で判断し、次なる行動への意欲を作っているのではないだろうか。そしてその行動は、身の回りのモノを愛する行動へとつながっていくと考える。
よって、審美感があるからこそ人は多くの身の回りの環境とかかわろうとするし、その関わりの中で感覚・感受性・感性が高められ、その上で心の美を感じるエネルギーである審美的な心が高まってゆくのではないか。よって、環境の中での自らの存在(位置)を感じ取り、よりよい環境をつくろうと行動する「エコロジーの実践」には審美的共感という心のエネルギーは不可欠であると考察する。
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このことをイディス・コップは、
「多くの人はそれとは知らずに詩人であるように、今はそれとは知 らずエコロジストなのであると言うことにしよう。詩的とエコロ ジカルであるこれら2つの表現は関係がないわけではない。」であると述べている。詩人とは彼女にとって審美的共感を備えた人であり、詩人だけでなく農夫・漁夫・工夫、探検家でも人は、大昔から自然と自らの精神との関係を表現するために、無意識に自然の動態を自らを含めた生態系として読みとって来たというのである。すなわち、人は自然等の環境を審美的に知覚し、それを個人に与えられたやり方で表現するという根源的な希求を持っているのという。よって、人の「創る」能力が、審美的共感心(美を感じる感情)と結びついたとき、「自然(環境)を愛する」ことがどういうことなのかを考えうるというのである。環境教育においても、子どもが自分自身を取りまくすべての環境事象に対して意欲的に関わり、それらに対する感じる心(感受性)を豊かにするために、造形教育で重要視し、子どもの心に育ててきた環境と関わり愛する美を見いだし働きかける心=審美的共感心を見つめ直し生かすようにすべきであると考える。
 子どもの審美的な感情や共感心を生かし育てる方向が、環境教育の根本的な改善の道を示しているように思える。
by kazukunfamily | 2012-05-17 22:05 | 博士をめざす方へ

子どもと環境とアート教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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