2 ゴミにおびえる図工1。

2 ゴミにおびえる。
(1)知らないことほど怖いものはない
小学校のころからゴミ焼き場の清掃という当番によく当たっていたように思う。新任のころもゴミを燃やす担当で、子供たちとともに焼却炉の下から灰を集め、木の根っこに埋めていた。今、考えれば空恐ろしい、一度、卒業記念の木を枯らしてしまったことがある。「なんでやろ?」とそのとき思っていたが、今では「灰が原因だ」とはっきり言える。
児童の作品を燃やして処分した体験で忘れられない2つの光景がある。一つは昭和61年の絵画制作・図画工作・美術教育研究兵庫大会でおこなった「城の守り神」という6年生の実践である。姫路市のシンボルである姫路城の鯱を題材に、「とにかく大きな作品をつくり、見る人を引きつけろ」というアドバイスの元、数万個アルミ缶の城がデコレートされた会場校で公開授業をおこなった。学校にあった発泡スチロールとダンボールを芯材に、市内からかき集めた一体あたり130kgという土粘土で、自分の夢の城を守る鯱を作らせた。参観者の評価は高く、私は得意満面だった。しかし、困ったことが起きた、130kgの土の固まり5体の処分である。会場から大型トラックに乗せられて帰ってきた作品は、乾いていなかったので尾などが折れてぼろぼろだった。剥がした粘土は練り機を使って再生できたが、問題は芯材である。そこで、子ども達と焼却炉に入る大きさに解体して授業の空き時間の午前10時頃から2時間程かけて焼いた。中庭の焼却炉で焼いていると、4階の教室の窓から先輩の先生が「何やっとるんじゃ、教室に黒い煙がきとる」としかられた。「すみません、窓を締めて下さい。」と叫び、全教室が窓を閉める中、芯材を焼き切った。とにかく処分しないとじゃまだったのである。近所は住宅地だったのに苦情は来なかった。環境破壊へ意識が低かったのか、ある意味でいい加減だった。しかし、中庭を漂う黒煙の光景、今でも目に焼き付いている。
 二つ目は、県大会にむけての図工科研修会でおこなった平成9年の「夢がぶらぶら、20年後へのタイムマシーン」という6年生の実践である。教室内にテントを2つはり、それをタイムホールに見立てて、5年後のエリア、10年後エリアというように、各エリアにその年代の自分の夢をぶら下げてゆく。テントの天井は全て段ボールで覆った。当時、私は、豊富な材料や用具を子どもに与え、選択の幅を広げることで子どもの創意工夫があふれたのびのびした表現が引き出せると思っていた。期待通り、子ども達は遊び時間や放課後もやってきてホール作りを楽しんだ。後かたづけのことなどは何も考えていなかった。仕上げとしてみんなでホールをくぐって感想を述べ合い、解体した後、廃材の量に頭を抱えた。およそ200kg以上、ボンド、針金、さまざまな接合法が行われているので分別は難しかった。他校への飛び込みの授業であり、分別にこれ以上子どもの手を借りられなかった。また、商店街や住宅地の中にあるということで学校ではすでに焼却炉の使用は禁止されていた。そこで、トラックに積み自宅に持って帰って、裏の河原で野焼きをした。あまりに黒煙があがったので、隣の派出所のお巡りさんににらまれたが、分別できない多量のゴミを地区の置き場に出すと隣保長に怒られるし、隣の自転車屋も段ボールを燃やしていたので燃やし切ってしまった。
今では条例で厳しく取り締まられているのだが、そのころは野焼きはあちこちで見られた。橋の上から生がゴミが流れ、上流の川にはまちが一匹浮いていることもあった。野焼きや生ゴミ捨ては当たり前の見慣れた光景だった。しかし,今では考えられない行為である。
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by kazukunfamily | 2012-06-05 19:30 | 博士をめざす方へ

子どもと環境とアート教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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