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カテゴリ:博士をめざす方へ( 99 )

環境芸術の発生、その2

この作品をみていると、パフォーマンス、インスタレーションと環境芸術の接点が見えてくるようで、
加えて、私にはいのちがみえました。
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B ハプニング(ボディ・アート,パフォーマンス・アート)に関連して
 2例目は,1959年にニューヨークのルーベン美術館で展覧会「6つのパートからなる18のハプニングス」を行ったアラン・カプローを環境芸術の始祖とするものである。
 これは,人体やその周囲の環境を取り込んだ表現行為に見いだされる「環境ということ,つまり工業生産品やその廃品までも含むわれわれの環境と,そこに流れる行為と時間そのものが芸術である」20)という環境芸術化(現実と芸術の一体化)の方針を環境芸術の始まりと見る考え方である。
 その環境芸術化の考え方は,都市の建物に囲まれたスペースに大量の廃タイヤを詰め込み,足元の悪い空間を前進しなさいという意地の悪い観衆への指示のみで構成される1961年の「Yard(中庭の環境からも読み取れる。すなわち,彼は,街中に突如大量のゴミや異物を出現させ,一般人や観客を巻き込む「ハプニング」を通して、芸術と日常生活の分離状態を破り、芸術家と観客の間の境界線や、演じる者と見る者の間の区別をあいまいにしてしまい,廃物・観客・行為・時間という現実=環境そのものを芸術化しようとしていた。
  さらに,彼は,廃物・観客・行為・時間という現実を取り込んで芸術を創り出す理由を以下のように語っている。
「全てのものは平等であり,もはや芸術については何にも重要なものは存在しない。道路のゴミ,交通のライトなどがあるだけだ。しかし,それらを凝視してみよう。たとえば明らかに芸術的な才能などを持ち合わせていない人々を注目するだけでいい。そうしたおびただしい数のもの全てが,いやそれ以上の多くのものが,驚くべきものとなりうるのだ。それは事実だ。われ われは,おそらくこのように価値を発見していく のだろう・私が興味をもつのはこうしてできる限り可能性を拡げていくことである」23)。 彼の日常空間と観客の間に日常性や即興性、演劇性を取り入れた表現活動を介在させ,観客に,普段に何気なく接しいた環境のもつ新たな価値を発見させる考え方は,市民に地域環境の価値を再認識させる今日のアートプロジェクトと重なる部分があり,芸術と社会とを関わらせることで,新たな芸術の可能性を拡げたと思われる。
 彼の作りだした環境芸術化の流れは,オプティカル・アート,サイデリック・アート,等に受け継がれた。 ただ,1960年代の段階で,環境的または環境芸術といっても,ローバート・ラウシェンバーグ,ジョン・ケージ,アラン・カプロー等が参加した,新しいテクノロジーを用いたパフォーマンスをエンジニアとのコラ ボレーションで行うアーティスト・グループ「E.A.T:Experiment in Art and Technology(芸術と技術の実験)」あたりまでは,その芸術が創り出される環境は都市的人工環境に属していることが多かった)。
 これらのハプニングやイベント等の芸術動向は,1970年代に近づき,先に紹介した砂漠にチョークで1マイルも線を描くウォルター・デ・マリアや砂漠に巨大な穴を掘ったりするマイケル・ハウザーらのランド・アーティスト達が出現することによって,都市環境から大地の自然環境へと拡大していった。「生活(都市環境)と人間」から「自然と人間」のかかわりを意図するハプニングやイベントに拡散していった。
by kazukunfamily | 2012-09-09 19:50 | 博士をめざす方へ

環境芸術の発生

環境芸術の発生について新潟のたほ先生のアートを見ていて思うわけで・・・。
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その発生時期としては,ジェイムズ・ワインズが「1970年代には今世紀で最もとっぴで実験的な多くの屋外芸術作品がつくられた。環境芸術運動には,それまでの芸術には見られなかったほど多様な解決や典拠やメディアが関係し,また視野がひろがった」5)と述べている1970年前後を想定したい。そこで,1960年代までを萌芽期,1970年代以降を展開期とし,以後は10年区切りで,その年代の環境芸術の動向を整理していく。
ア,萌芽期(~1960年代)
風景すなわち人々を取り巻く環境は、古代から現代の抽象表現まで芸術家に多様な主題を提供し、無数の解釈や表現法を引き出してきた。1960年代の芸術家と風景の関係について,岡林洋は「ここ数十年来,特に芸術家は,風景と-いや環境といった方がよいのかもしれないが-さらに多様な手段を通じてかかわりをもつようになってきている。もはや風景は,他の背景として用いられない。かれらはまた,風景を描くのではなく,環境に参加しようとしているのである」と,芸術家は描くのではなく,環境に参加することで作品をつくりだしており,両者の関係性はより深まっているとしている。では,芸術家が環境に参加するように制作を始めたのはいつ頃であろうか。 
この環境芸術の萌芽に関わる考え方にはいくつかの異なるものがあると思われる。 
A ランド・アート(アース・ワーク)に関連して
 環境芸術という用語から,ローバー・スミッソン,「渦巻き状の突堤(1970年)」やマイケル・ハイザー,「ダブル・ネガティブ(1969年)」等のランド・アート(別称,アース・ワーク)におけるモニュメンタルな土砂の移動を連想するというものである。 環境芸術とランド・アートの関係性について,南嶌宏は以下のように説明している。
「『環境芸術』として限定する場合,-略-モダニズムを限定させてきた,便宜的に仕組まれてきた美術館や画廊といった因習的な美術の場や,そこから限定される個々の根拠なき作品の形態やサイズを,人間が本来対峙すべき神や自然といったフィールドへと放ち,人間に内在する表現の可能性をもくろむ作品あるいは行為をさす」。
 南は環境芸術の作家として,ロバート・スミッソン,ワルター・デ・マリア,クリスト,リチャード・ロングを挙げている。ここで語られている環境芸術は,1960年代後半以降に,美術館・ギャラリーを出て,作品の新たな「場所」を発見し,大地,海などの自然・野外空間に展開されていったランド・アート(アース・ワーク)と考えられる。ストーンヘンジやナスカの地上絵,さらにピラミッド等は太古のランド・アートといえるものであるが、現代的な意味におけるランド・アートを構想した最初期の作家としてはイサム・ノグチが挙げられる。
 彼はすでに1933年の段階で、古墳や古代遺跡、日本庭園などから着想を得て、巨大なアースワークを設計して いた。1947には「Sculpture to Be Seen from Mars (火星から見える彫刻)」 という作品を発案している(実際には実現せず)。この作品では,盛り土で巨大な「顔」を描くというもので鼻の長さだけ1.6kmになる予定だった。これが実現していればノグチは、おそらく最初のランド・アート制作者になっていたと思われる。
 ランド・アートは1960年代後半のアメリカの彫刻家たちによって、一つの美術動向、として短期間のうちに確立されたとされている。
 しかし,ジフリ-・カストナーは「1955年にはハーバート・ベイヤーがコロラド州アスペンに『Earth Mound』を作っていた。-略- デ・マリアは1961年にはすでに,都市の空いたスペースを活性化させるために,芸術作品を活用することを示唆していた」と1960年を前後に環境の中に入って行う作業計画や活動が始まったとしている。ハーバート・ベイヤーの「Earth Mound」については,藤枝晃雄も「彼の仕事がランドスケープ・アーキテクチュアに属しているには明らかである。-略- 彼の仕事は積極的外部環境の形成としてのデザインであるといえる。それは『選ばれた自然』が精神性と結びついていくというより『与えられた自然』を造形化するものである」12)とランド・アートとの結びつきを指摘している。
 ハーバート・ベイヤーと同様に「与えられた自然」を造形化する試みとして1967年には,マイケル・ハイザーが疾走する車から飛ばされた土,風にまかれた顔料,あるいはモータサイクルを走らせ大地に溝を刻むパターンなど10種類の仮設的作品を作る活動を砂漠の中で試していた。そして,彼は1968年にデ・マリアがカルフォルニア州の砂漠において,チョークで1マイルの線を2本引く「Mile Long Drawing」を手がけた時,その作業に加わっている。 同様にマイケル・ハイザーが同年にネバダ州の砂漠で制作した「Nine Nevada Depression(ネバダ,9つの穴)」では,ローバト・スミッソンとその妻ナンシーホルトが制作に加わってる。このように萌芽期のアメリカのランド・ワークでは,後の主要な作品を生み出す作家達が,砂漠において協力し合って制作活動を行い,環境を素材として操作する芸術活動のあり方を交流,深化させていたと思われる。
彼らが仲間と共に砂漠の大地で試んでいたランド・アートの活動を世に広め,その流れを加速させたのは,1968年、ニューヨークのドゥワン・ギャラリー (Dwan Gallery) で開かれたグループ展 「Earthworks」と言われている。この展覧会では,その多くが大きすぎ,すでに風化で消えたと思われる作品もあり,写真すなわち数多くのドキュメント14)が展示されていた。この展示法は画廊における販売という従来の慣行に異を唱え,作品が商品化され人手に渡ることを拒絶する姿勢 を示しており,暗に当時の消費主義に溺れた美術界を批判していた。
 また,アメリカの自然や社会環境の現状と未来に関して痛烈な悲観的メッセージを送っていたと言われている。この悲観的メッセージの背景についてブライアン・ウォリスは以下のように,当時の政治や環境保護運動と芸術家との関連を指摘する。
「この見方(悲観的)は,当時の政治的風潮と軌を一つにしている。当時は環境保護運動が急速に進み,政治活動,とりわけベトナム戦争反対への参加は,アーティストたちにとって事実上義務と目されていた。従来 の意味においては何ら政治色は持たないものの
works』展はアトリエや画廊といった空間的束縛からアートの概念を開放する意図を示した点において明らかに反体制だった。-略-この展示に参加したアーティストたちは,ぎこちないながらも,環境保護運動の先駆者達と手を組んで大地,そして,人と大 地との関係に目を向かせた」。
 ベトナム戦争への反戦運動,ブラック・パワーあるいはスチューデント・パワーに象徴される1960年代は,従来の価値観が瓦解し,芸術家達も学生,市民,政治運動家達と同様に,社会状況そのものへの鋭い問題意識を持っていた。その問題意識が美術界にも向けられ,1950年代からネオ・ダダ以降の従来の芸術の枠組みからの脱出が進展していった結果,1960年代にはのオフ・ミュージアムの動向が都市で起こった。その後,制作の場は,都市の路地裏等から砂漠等の自然環境へと拡散していった。
 制作の場を都市から自然環境へ芸術家を向かわせたものに,都市の環境における活動することの激しい消耗感,いわゆる疎外感があったとされている。こ動向に関してロバート・スミッソンは以下のように述べている。
「われわれは,都市には大地がないような錯覚をいだく。それにまた,ニューヨークの美術界の枯渇し,消耗した雰囲気は,アース・ワーカー達を,もっと新鮮で根源的な状況の探究に駆り立てる」。
 こうした,芸術家達のエレクトロニクスの支配する人工環境である都市での生活や芸術活動の閉塞感・疎外感からの開放及び自然環境への渇望が,場の持つ特殊性(資質,歴史,環境保全状況等)に沿うように作品を生成させるという手法をより高め,環境芸術が萌芽を促していったと思われる。
大地=地球という自然環境そのものを芸術作品にする環境芸術へと帰結したと思われる。
by kazukunfamily | 2012-09-08 10:48 | 博士をめざす方へ

歴史的地域プライドを育成する表現活動についての一考察その3

3-2 地域と子どもの実態
3-2-1 獅子舞の実態 
 御形神社宮司の話や千町地区獅子舞保存会のメンバーへの聞き取り調査によると、江戸時代に繁盛地区の千町に他地域から踊りが伝わり、それが下三方地区の生栖に広がり、その生栖からその他の地域に踊りが伝えられていった(図6)。獅子には雄獅子と雌獅子があり、子ども達が学んだ西公文地区は雄獅子だった。獅子舞は3人で踊る獅子以外に獅子をからかう子どもの踊り手と10人程度の囃し手で構成されている。

3-2-2 子どもの実態
里山に囲まれた校舎で学ぶ子ども達は,年間を通して米作り等の農業体験に挑んだり、揖保川の水性生物調査等をするなどして地域環境への関心は高い。また、「秋祭り奉納子ども相撲」等を行っている。そんな学校での地域に体験的に関わる活動がある一方、家庭では多くが習い事等に行っており祖父母の畑仕事を手伝っている子どもは殆どいない。さらに近くのゴミ処理場のダイオキシン煤煙問題や台風の被害等により山の荒廃が進み、その上、熊の出現等により森や河川に入ることが危険になっている。したがって、造形材料・食材の宝庫である森・川は身近にありながら子どもにとって遠い存在になっている。そして、ここ10年あまり、少子化により近隣小学校との学校統合が進んでおり、地域の文化的拠点であった学校がなくなる危機感が後押しをして、児童も含め三方谷の地域文化伝承への関心が高まっている。
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by kazukunfamily | 2012-09-03 23:15 | 博士をめざす方へ

歴史的地域プライドを育成する表現活動についての一考察 その2

昨日のつづきです。
2:獅子舞づくり実践地域における歴史的地域プライドの現状
 本研究の実践校がある宍粟市一宮町三方谷地区(下三方、三方、繁盛地区)は鉱山で栄えていた。また、豊富な山林資源によって経済的に潤っていた。そのため人が多く集まり、獅子舞や舞踊が盛んに行われていた。しかしながら、鉱山が閉鎖、木材価格の下落により地域経済が弱体化し、転出者が増加したため、人口は減少の一途となった4)。
 このような経済的な理由等を背景にした人口減少による各地区の獅子舞の現状について、平成19年4月に御形神社宮司に聞き取り調査をおこなった(図2)。
(繁盛地区)
 ・倉床・・・・20年ほど前より獅子舞中断。
 ・横山地区・・ちゃんちゃこ踊り(子ども舞踊)を実施。
 ・千町地区・・獅子舞継続中。(囃子・太鼓の演奏は中断)
(三方地区)
 ・西公文・・・獅子舞保存会あり、子ども獅子も開始。
 ・東公文・・・3年ほど前より獅子舞復活。
 ・河原田・・・獅子舞継続中。
 ・福野・・・・20年前より獅子舞、中断。
(下三方地区)
 ・福知・福中・だんじり屋台を導入し、祭りの活性化を図る。獅子舞は中断。
 ・生栖・西深・深谷・・獅子舞継続中。
 各地域には横山神社等、地域の神社があり毎年、踊りを奉納しているが、その中心が御形神社である。この葦原志許男神を祭る神社は昭和42年に国の重要文化財に指定され、室町後期の様式や技法を伝える木組や彫刻があり鮮やかな彩色が施されている(図3)。
5月3日の御形神社春祭りにおいては、神輿3基と子ども神輿3基が総勢160名の渡御行列を組み、神社より踊野までを往復するお渡りが盛大に行われる。獅子舞は地域持ち回りで奉納されてきた(図4)。したがって、三方谷地区における歴史的地域プライドは、図5に示すように御形神社において室町時代から続く獅子舞がその一つである。
しかし、近年、過疎化で踊り手、囃し手がいなくなり獅子舞が途絶える地区が多くなり、保存会の活動が充実している西公文地区が獅子舞の奉納の中心になっている。
 平成12年当時の勤務校宍粟市立三方小学校6学年の子ども達は、自分たちがよく遊ぶ各地域の集会所に使われない獅子頭等が押し入れの箱の中で埃をかぶって置いてあるのをたびたび目にしていた。すると、子ども達から「何とかその獅子を使った獅子舞を、学習発表会で披露できないか」という提案がでてきた。
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図2
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図3
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図4
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図5
4)宍粟市広報 http://www.city.shiso.lg.jp/ 2011年9月取得.
 「宍粟市の人口は,平成12年時点で45,460人(国勢調査)で,昭和55年からの人口の  推移をみると,特に平成7年から平成12年には4.67%の減少と減少傾向が一層進ん  でいる」
by kazukunfamily | 2012-08-28 18:57 | 博士をめざす方へ

歴史的地域プライドを育成する表現活動についての一考察

伝統文化に関する論文を連載します。

歴史的地域プライドを育成する表現活動についての一考察 その1
ー子ども獅子舞づくりを事例としてー
Research of the artistic activities which raise historical local pride.
-The Theme"Work of "child sisimai as a Case Study.-

1:歴史的地域プライドに着目する理由
 平成17年に文部科学省は国土施策創発調査 「地域プライド創発による地域づくりのあり方に関する調査-地域固有の歴史的精神文化を軸とした地域プライドの創発」をおこなった。その調査報告において、歴史的地位プライドは以下のように定義してある。
 「地域の歴史的事象の中で、地域の人々によって受け継ぎ、守り育てられてきた『地域固有の精神文化』こそ『地域プライド』である。その様々な地域プライドのうち、長い年月を経て、守り受け継がれてきている「『地域固有の精神文化』」に着目し、これを「『歴史的地域プライド』」と定義する」1)。
この歴史的地域プライドが着目される背景には、これまでのインフラ整備や産業振興等といった、いわば成果が見える地域づくりが中心に進められてきた時代において、これら地域が本来持っていたはずのプライドが消滅しつつある危機感がある。また、一方で地域のプライドを守り育てている地域が存在し、そこでの取り組みは、地域づくりの大きなエネルギーとなり個性ある人づくり地域づくりに貢献している。
 一方、美術教育として着目する理由には、平成19年11月に出された、中央教育審議会「審議のまとめ」の教育内容に関する主な改善事項における「伝統や文化に関する教育の充実」があげられる。その中でグローバル化する社会の中で我が国の伝統や文化についての理解を深め尊重する態度を、社会科等での郷土の先人の働きや伝統的な行事・文化遺産について調べる学習の中で育むことを求める共に2)、以下のような記述で芸術活動の重要性を指摘している。 
 「特に、伝統的な文化にかかわっては、音楽科や図画工科、美術科では、唱歌や民謡、  郷土に伝わる歌、和楽器、我が国の美術文化などについての指導を充実し、これらの  継承と創造への関心を高めることが重要である」3)。
 美術教育にとって「我が国の美術文化などについての指導を充実」や「継承と創造への関心を高めること」が求められいる。したがって、歴史的地域プライドを育成するために、地域に伝承されている伝統芸能等をものづくりや踊り等の表現活動で行うことは、美術教育にとって地域文化を継承・創造する役割を果たすことになり、その存在意義を示すことにもなると思われる。
 そこで、平成12年に兵庫県宍粟市立三方小学校でおこない、その後の地域への影響を追跡調査してきた「子ども獅子舞づくり」の実践例を分析することで、歴史的地域プライドと子どもの表現活動との関わり、さらに歴史的地域プライドを表現活動で育むにはどのような条件が必要なのか明らかにしたい。この実践例に注目してきた理由は、この表現活動が契機となり、地域ので大人の獅子舞が復活したり、子ども獅子舞が、はじめて祭りで演じられるようになったことや大人になった児童が、現在、地域の獅子舞保存会のメンバーになり地域の神社に獅子舞を奉納したり、子どもへの獅子舞指導をおこなっているからである(図1)。この事例は、歴史的地域プライドを育んだ美術教育の取り組みが、新たな地域文化を創造した成功例といえる。
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1)文部科学省委託事業財団法人国土計画協会「平成17年度国土施策創発調査 ,地域プ  ライド創発による地域づくりのあり方に関する調査-地域固有の歴史的精神文化を軸  とした地域プライドの創発」,文部科学省,2007年,p.1.
  http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/chiiki/chousa/06120613/002.htm2011年9月取得.
2)中央教育審議会教育課程部会,「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」,  文部科学省,2007年,p.58.
3)同上.
by kazukunfamily | 2012-08-27 13:29 | 博士をめざす方へ

国際理解の論文かいてます。

今日は,妻から頼まれていた犬の全身シャンプー(大変でした)
そして,絵のベースづくり(1万以上かけているのにかなりやばいかも・・石膏の割合間違えた?)
さらに,論文を書き始めました。
美術科教育学会用ですが,国際理解教育がテーマです。
題は・・・。
Research on the result and subject of International Intercultural Mural Exchange which a holistic approach to Global perspective .
で,アマゾンでいっぱい買った本で,論文のベースを準備しています。
あと,夏休みまでには書き上げたいですね。
概要の一部です。
経済や社会・文化のグローバル化が進展し、異文化との共存や持続可能な社会の構築に向けて国際的な協働が求められるとともに、人材育成面の競争も国際的に高まっていることから、学校教育において国際理解教育を充実させることが重要な課題の一つとなっている。そして、国際理解教育の一つの手だてとして国際的な学校間の交流も注目されている。 しかし,現在、公立学校が外国の学校と交流を図ろうとする場合、市や町の行政が提携している姉妹都市の学校との交流校に指定され,支援を受けて国際的な学校間交流を実践している学校はごく一部である。さらに、新学習指導要領において、総合的な時間が減少し、小学校に教科担任制が推進されている中では時間的・教育予算的に制約があり外国の交流校を学校単位で探すのは至難の業である。例え、見つかったとしても、海外校と交流実践の交渉ができる英語力を持った教員はごく少数である。・・・・・(ここからがオリジナルで秘密!)
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ある教授から,博士として今の美術教育界の動向に影響を及ぼす動き・立場になれと,言われています。
たぶん,査読論文数はかなりたまりましたが,その研究を全国的に広げないといけないのでしょう。

分岐点にいることは確かなようです。
うーん・・・ですね。
by kazukunfamily | 2012-07-16 22:36 | 博士をめざす方へ

ゴミから逃げない造形活動

このままではいけないと思った。おびえていては子ども達が大好きな授業に「すぐできて、ゴミにならないお手軽な造形活動のみ実施可能」という規制がかかるかもしれない。そこで、図工室にある材料を徹底的に分別してみた。塩化ビニール系と思われるものを全て排除した。近年では家電リサイクル法が施行される前に、壊れたテレビやコンピュータ等からロボットづくり等のために集めていた基盤や部品を処理センターに運んだ。図工室の材料を環境への負担を配慮したもののみに精選した。絵の具も油性はやめて水性のみにした。整備した図工室で、何か子ども達の学びの場を奪ったような違和感を感じながら、もうゴミづくり造形と言われない、ゴミを出さない授業づくりのセオリーを4つ考えた。
①自然素材のみの活用。
②解体しやすい接合・接着法。
③再利用しやすい材料の活用。
④廃棄物の量を評価の観点化。
 まず、自然素材にこだわった授業を6年生でおこなった。「ゴールズ・ワージに挑戦」という造形活動である。秋の山から素材を見つけ、教科書にあるイギリスの自然派の環境作家であるワージの作品を参考に造形遊びをおこなった。(写真4)ところが、ワージのコピーのような作品ばかりが出来上がってしまった。数日前、裏山のアスレチックに学級遊びに行った際に、時間が余ったので「秋の山にあるものの色や形を組み合わせて」という活動の時に「お母ちゃんの生け花に負けてへんで」と得意げに見せてくれた、葉っぱや木や落ちていたロープなどで作った作品の方がずっとよかった。(写真5)前者の作品からは子どもの顔が見えなかった。自己評価カードからも工夫はしたがおもしろさは今ひとつという評価だった。ワージに似た作品は、「生け花に勝つ」と言った作品よりも子どもの生活と結びつきが無かったように思われた。また、「活動のねらい」として自然素材の活用したいという教師の思いが勝ちすぎて、気負い無く自然素材と人工物を組み合わせた子どもの活動に及ばなかったのである。自然素材を使えばよいという安易な発想では、子どもと環境との関わりを生かし切れないことが分かった。
 一方、セオリーの②から④を生かした「〇〇が見えてばれちゃった 」という材料をもとにした造形活動の実践を2年生でおこなってみた。この授業は、子どもたちの学校生活において学習の発見の場であったり、遊び時間の隠れ場所であったりする、学校周囲の自然(環境)の中にある素材を、子どもの学校生活と結びつけ、子どもが、その形や色・触感から思いついたことをもとに、体全体を働かせて進んで楽しく造形活動をすることをねらいとしていた。(写真6、図8)まず、「君たちの様子を見ていた、森や水や土や風の中に隠れていた不思議で愉快な物の怪たちが『いっしょにやってみたいな』と思い、変身して一緒に学校生活を楽しんでいました。ところが、あまり楽しいので、人間になるために隠していた〇〇がピョコンと飛びだしばれてしまったのです。みんなで不議な仲間が隠れていそうな所に出かけて、素材を探し、見つかってしまった〇〇を作ってみよう。」と話しをして、裏山に出かけた。子ども達は物の怪になれそうな葉や枝を探した、ある子が「これ何かな」と火鉢を見つけてきた。ビニールシートを見つけてくる子もいた。これらは前年度に生活科で森の中に隠れ家を造った時の残骸だった。「今日は物の怪に変身できるものだけを探してください。」とそれらを元の場所に戻させた。
材料集めの後、図工室の材料と組み合わせて物の怪をつくらせた。ただ、次のような条件を出した。
・材料の箱からとってきたものは工夫して全部使い切ろう。
・接着剤は使わず、セロテープや紐などを使って自然素材と組み合わせよう。
・カップ等を使う子には、再び使えるように形を生かして使おう。
(あまり切り込み入れないで)
 子ども達は、活発に造形活動を楽しみ、ビニール紐で編み物を作ったり、それを大きな葉と組み合わせて、おもしろい物の怪に変身していった。端切れが床に落ちないように気をつけ、とにかく選んだ材料は全部使い切ってくれた。そして、絵を描いているところ、ピアニカを弾いているところなど、自分が好きな教科を学習しているパフォーマンスを写真におさめた。その後、自然素材と人工材を分別し、さらに人工材を使えるもの使えないものに分けて、使えるものは材料棚に戻した。使い回しできないものの中にも編み込んだ紐等は「持って帰る」と子どもが手提げの中にしまった。セロテープ等と分別不可能な材料の合計重量は60gだった。「おもしろかった。工夫できた」(図9)と子ども達の評価は上々だった。ゴミを出さない造形として60gというゴミ最小記録とある種の達成感を持った。反面、ものたりなさを感じた。確かにゴミは減らした。地球に優しい造形活動を展開できた。しかしながら、これで子どもの達の中に環境保全につながる、自分達の生活と環境負荷との関わりを見つめ直し、環境保全のための行動につながる意欲や思考を生み出すことができるのかと迷った。もしかすると子ども達が環境について考え直す多くの機会を奪っているのではないか。そこで、子ども達から環境との関わりを学ぶ機会を奪ってしまった原因とは何なのか、授業を見つめ直してみた。すると次の4点が見いだされた。
①子どもが自分たちの学びが起こした環境破壊を指摘したのに無視した。
②材料選択の量を指定した。
③分解しやすい接合法を教師が示し、子ども達の工夫の幅を狭めた。
④写真には記録したが、片づけを急ぐあまり振り返りの時間的余裕を作れず、相互交流 がなかった。
よって、ゴミを減らすことに教師がとらわれすぎ、子どもが環境に働きかけることでゴミと自分との関わりを見いだし、学ぶ場を奪っていた。いうなれば、ゴミをさけ、逃げていただけなのである。見かけは環境に優しい造形活動でゴミを減らす容易な指導のマニュアルが提案できているかもしれないが、ゴミの減量と指導しやすさが全面に出て、子どもと環境との接点を生かし切れていないのである。よって、ダイオキシンにおびえ逃げたままでは、子どもに今、身近な環境で起きていることに気づかせ、その原因を広い視野で考え、行動しようとする力を育む造形活動を作り出せないことが明らかになった。
by kazukunfamily | 2012-07-01 20:13 | 博士をめざす方へ

(2)ダイオキシンにおびえる造形活動

 ところが平成9年に衝撃的な報道があった。宍粟の焼却炉排ガスから全国一のダイオキシン濃度が検出され、翌年には周辺土壌から高濃度のダイオキシンの数値が公表された。数回、見学に訪れた最新設備の焼却炉は、環境に負担のないすばらしい設備であると子ども達に説明していた。その施設への信頼が裏切られた。そして、文部省から指導があり、学校では紙さえも燃やせなくなり、焼却炉は封印された。そんな中、役場の友人からダイオキシンが発生する過程を聞いて、裏の川を見ながら深く後悔の念をいだいた。この毒は、塩化ビニル等を低温で焼却するときに発生する。野焼きは最もいけないと友人に指摘された。リサイクルに寄与する造形を行うため廃材を役立つ資源に変換させた思いこんでいた授業は、毒をみどり美しい郷里にばらまいていただけだったのである。 
 いいようのない恐怖感がこみあげてたきた。一つは山ひとつへだてた勤務校周辺にその汚染が及んでいるのではないかということ。もう一つは、廃材を活用した造形活動、特に材料や空間そのものから活動を展開する造形遊びは、下手をするとダイオキシン発生源を作る活動だとレッテルを貼られ、子どものものづくりにおける題材や素材選択の幅が狭くなり、片づけの簡単な業者の教材セットばかり使った授業が流行るのではないかということである。
 そこで、このダイオキシンへの不安感が、子どもの造形活動にどのように影響を与えているかを調べることにした。また、今までの図工の授業で作られた作品がどのように家庭等で処理されいるかも調べ、環境に造形活動がどの程度負担をかけているかを明らかにすることにした。まず、1998年の6月下旬から7月上旬かけて、当時勤務校だった僻地指定小学校(一宮町立三方小学校、2年20名、4年15名、6年17名を対象)と友人が勤務していた都市部の小学校(姫路市立安室小学校、2年30名、4年31名、6年38名を対象)において「家に持って還った作品を破棄するかどうか」というアンケートを実施した。
造形遊びで作られる作品は活動行為そのものを楽しむので完成後は分解されるのだが、「この部品は気に入っているので持って帰りたい」と作品を持って帰宅する子も多くいる。気に入って持って帰るのだが、低学年で20%、中学年で30%、高学年では40%が家庭のゴミ箱へ消えていた。「何かよく分からないゴミみたいなもの」と保護者の理解が得られず廃棄されているようだった。一方、飾りなどに使う目的で作った作品ついての廃棄率は、使う目的があっても平均20%が捨てられていた。両方のアンケートとも都市部の方が廃棄率が高いことから作品の保管場所に困り、年末に廃棄されることが多いらしい。ただ、問題なのは作品の廃棄率が高学年ほど高いことである。低学年ほど作品への思い入れがあるのかもしれないが、高学年は環境保護に関わる学習や活動を一番多く経験しているはずである。しかしながら、自ら造り出したものへの拘りが余りないのか、ためらわず破棄している姿からは、人間が生きることは少なからず環境に負荷をかけているという意識があまり育っていないように思われた。
また、子どもを指導する教師の環境保全への意識はどうなのかを調べるため、1998年の3月に宍粟郡内の教師(宍粟郡内公立小学校図画工作科に関わる教師、男性5名・女性11名)を対象にダイオキシン問題後の造形活動を行う際の配慮事項に関するにアンケートを実施した。題材・素材に関するアンケートによると(、自然素材を活用したり、リサイクルへの配慮をしている教師は27%にすぎず、64%が「授業後の廃材処理は役場にまかせておけばよい」と人任せの姿勢が感じ取れた。この姿勢は、素材置き場の分別が不十分という形で現れていた。郡部の教師にとって都市部に比べて雑草や森の強靱な回復力を見慣れているためか「ダイオキシンもそのうち何とかなる」という「環境への甘え」がその根底にあるのかもしれない。しかしながら、従来のようなゴミの処理ができなくなったのも事実で、ゴミとして出せる作品や素材の大きさや種類に苦心しているのか、生活廃材を活用した造形活動は都市部より郡内の方が少なかった。
 「教師はダイオキシンに怯え逃げているのではないか」という心配は的中した思いだった。。今後の造形活動への不安感がひろがった。この廃材利用減少で抱いた不安は、6年後、深刻な形で表れてた。まだ、アンケートを実施したわけではないのだが、勤務校をはじめ郡内の諸学校では材料をもとにする造形活動すなわち造形遊びは、あまり実施されていないのである。教員同士の会話から理由は2つ考えられた。一つは教師や子どもがイベント疲れしていることである。新しい教科書や総合的な学習が導入されてから、「博物館づくり、**発表会を開こう。」など共同でおこなう調べ物や掲示物等づくりに追われて、ものづくりに疲れているのである。もう一つは、作品が残らず掲示も難しい上に、材料の用意や片づけの分別に時間がかかるのが、造形遊びを避ける理由らしい。県教委の教育課程説明会で「とにかく造形遊びをおこなって下さい」と主事が指導していることからも、現場の教師がイベント化した活動と造形遊びを同じに捉え、片づけの大変さや評価の難しさから、造形遊びの実践に尻込みをしている現実がかいま見れる。ダイオキシン等のゴミのもつ危険性へのおびえが、表現する姿から子どもの心や成長を読み取れるよい機会である造形活動の場を奪うことに一役買っていたのである。
by kazukunfamily | 2012-06-10 02:29 | 博士をめざす方へ

2 ゴミにおびえる図工1。

2 ゴミにおびえる。
(1)知らないことほど怖いものはない
小学校のころからゴミ焼き場の清掃という当番によく当たっていたように思う。新任のころもゴミを燃やす担当で、子供たちとともに焼却炉の下から灰を集め、木の根っこに埋めていた。今、考えれば空恐ろしい、一度、卒業記念の木を枯らしてしまったことがある。「なんでやろ?」とそのとき思っていたが、今では「灰が原因だ」とはっきり言える。
児童の作品を燃やして処分した体験で忘れられない2つの光景がある。一つは昭和61年の絵画制作・図画工作・美術教育研究兵庫大会でおこなった「城の守り神」という6年生の実践である。姫路市のシンボルである姫路城の鯱を題材に、「とにかく大きな作品をつくり、見る人を引きつけろ」というアドバイスの元、数万個アルミ缶の城がデコレートされた会場校で公開授業をおこなった。学校にあった発泡スチロールとダンボールを芯材に、市内からかき集めた一体あたり130kgという土粘土で、自分の夢の城を守る鯱を作らせた。参観者の評価は高く、私は得意満面だった。しかし、困ったことが起きた、130kgの土の固まり5体の処分である。会場から大型トラックに乗せられて帰ってきた作品は、乾いていなかったので尾などが折れてぼろぼろだった。剥がした粘土は練り機を使って再生できたが、問題は芯材である。そこで、子ども達と焼却炉に入る大きさに解体して授業の空き時間の午前10時頃から2時間程かけて焼いた。中庭の焼却炉で焼いていると、4階の教室の窓から先輩の先生が「何やっとるんじゃ、教室に黒い煙がきとる」としかられた。「すみません、窓を締めて下さい。」と叫び、全教室が窓を閉める中、芯材を焼き切った。とにかく処分しないとじゃまだったのである。近所は住宅地だったのに苦情は来なかった。環境破壊へ意識が低かったのか、ある意味でいい加減だった。しかし、中庭を漂う黒煙の光景、今でも目に焼き付いている。
 二つ目は、県大会にむけての図工科研修会でおこなった平成9年の「夢がぶらぶら、20年後へのタイムマシーン」という6年生の実践である。教室内にテントを2つはり、それをタイムホールに見立てて、5年後のエリア、10年後エリアというように、各エリアにその年代の自分の夢をぶら下げてゆく。テントの天井は全て段ボールで覆った。当時、私は、豊富な材料や用具を子どもに与え、選択の幅を広げることで子どもの創意工夫があふれたのびのびした表現が引き出せると思っていた。期待通り、子ども達は遊び時間や放課後もやってきてホール作りを楽しんだ。後かたづけのことなどは何も考えていなかった。仕上げとしてみんなでホールをくぐって感想を述べ合い、解体した後、廃材の量に頭を抱えた。およそ200kg以上、ボンド、針金、さまざまな接合法が行われているので分別は難しかった。他校への飛び込みの授業であり、分別にこれ以上子どもの手を借りられなかった。また、商店街や住宅地の中にあるということで学校ではすでに焼却炉の使用は禁止されていた。そこで、トラックに積み自宅に持って帰って、裏の河原で野焼きをした。あまりに黒煙があがったので、隣の派出所のお巡りさんににらまれたが、分別できない多量のゴミを地区の置き場に出すと隣保長に怒られるし、隣の自転車屋も段ボールを燃やしていたので燃やし切ってしまった。
今では条例で厳しく取り締まられているのだが、そのころは野焼きはあちこちで見られた。橋の上から生がゴミが流れ、上流の川にはまちが一匹浮いていることもあった。野焼きや生ゴミ捨ては当たり前の見慣れた光景だった。しかし,今では考えられない行為である。
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by kazukunfamily | 2012-06-05 19:30 | 博士をめざす方へ

クリストと環境とのコミットメント(関わり合い)

2)クリストと環境とのコミットメント(関わり合い)
クリストの作品に関わる人は、その作品の巨大さ故に素材メーカー、エンジニア、法律家を含めると国際的な規模になるはずである。また、作品の構築、管理、解体といった作業にも数十人から数百人が関わっている。主素材量と参加人数が分かっているプロジェクトを例に挙げると、
・1972年・・「谷間のカーテン」アメリカ・コロラド州
ナイロン18500㎡、スチールケーブル49500g
        32人の建設労働者と64人の臨時助手、美術校生、美術専門の移動労働者(28時間後解体)
・1978年・・「包まれた遊歩道」アメリカ・ミズリー州
全長4,5kmのナイロン布(12540㎡)
  布設置作業員84名、建設作業員14名、
        裁縫師4名、 (13日間設置) ・1985年・・「梱包されたポン・ヌフ、パリ」フランス・パリ
ポリアミド繊維の布40000㎡、ロープ1300m
     300人の専門の職人
 これだけの資材を用意し、スタッフを指揮するのは、想像を絶する綿密な計画と指導力を要するはずである。「囲まれた島々」では、さらに規模が大きく、430名の布地設置部隊が海上に島々にピンク色のポロプロピレン布557400㎡を拡げた。設置後も2週間の間、120名の監視部隊が 日夜、ゴムボートで点検を続けたという。 作る人だけではない。作品を一目見ようと遠くからやってくる人、日常の風景の一部としてその作品に接している人、テレビなどのメディアを通して見る人を含めるとその数は膨大なものとなる。
 では、なぜ彼の作品は人と人との関わりを生むのであろう。
 その理由は、彼の作品が見る人に理解するための余裕をしっかり取っている点である。その作品は、生活道路を横切り、見慣れた街の橋・ビル・像や遊び場である海岸を包み込んだりと日常生活の身近な場所にある日忽然と出現する。そして、入場料は無料で、作品の見方や触れ方は、危険のない限りいっさい自由なのである。夜明け前だろうが、日没後であろうと、どこから見てもよいのである。
 また、作品の解説等はいっさい配布や展示はされていない。では、誰がそれをおこなっているのかといえば、その設置に参加した人々である。例えば、「囲まれた島々」では、地元の美術学校の生徒がクリストのプロジェクトを手伝いに来ている。初め生徒たちはクリストのことを全く知らないが、何週間か手伝い、クリスト本人やスタッフと関わり合い、話し合い、活動する中で、彼らはクリストがプロジェクトを通して何を目指しているのかをリアルに学んでゆく。そして、その子どもたちやスタッフが、作品を見に来る人に熱心に説明しているのである。すなわち、彼らはクリストの作品と一体化しているのである。
 クリストは、プロジェクトのプロセスも作品の一部だと述べているが、彼の作品に関わった人々もクリスト芸術の一部なのである。
 彼の作品は人の心を引きつけ芸術の中に取り込む魅力を持っている。そして、人目を引きつける巨大さと華やかさとは裏腹に、どこか、不思議に控えめでもの静かに全てを受け入れている優しさが存在している。なぜなら、クリストのプロジェクトは周囲の人々の協力なしには存在し得ないのである。他の公共芸術が威圧的にそこに存在するのとは異なり、彼の作品は、周囲の理解と許可を必要とするのである。よって、クリストは、それを求めるべく、直接関わったり、メディアを積極的に利用するかたちで、何百万人という人々を作品を通して包合してゆこうとしているのである。そして、さらに大規模なプロジェクトを展開する足がかりにしようとしているのではないかと考える。
 クリストは、自らと人間環境のコミットメント(関わり合い)を芸術の世界に取り込んだ独創的な芸術家であるといえる。
by kazukunfamily | 2012-05-31 20:36 | 博士をめざす方へ

子どもと環境とアート教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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