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バイクよ元気で

ただいま、投稿論文の仕上げ中なので、教育から離れた話題を
で、今の季節だとバイクですね。家の前の国道は、もういろんなバイクが走り抜けています。
で、自慢のバイクは、というより、のって一番楽しいバイクは・・・
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このヤマハYBー1ですね。
見る人が見ると、このバイクのおもしろさがわかると思います。
とにかく、よくエンジンが回るようにしています。
なんか、バランスもいいでしょう。(自画自賛)
息子が、12歳の誕生日に「将来乗りや」といって、手に入れ、以来少しずつ、手入れをしてきました。そして、バイクは大学生の息子の元へ、・・・・
元気にしてるかな?バイクと息子は・・・・・です。
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by kazukunfamily | 2008-04-29 12:31 | 趣味・宝

お菓子博、すごい人です。

お菓子博についてのいろんな情報がはいってきました。
ある学校が行ったが、メインの展示場にはいるのに1時間30分ぐらいかかり、周辺で弁当を食べて帰ってきたというものから、
教え子の、7時30分までやっているので、いろいろみれたよ。というものや、娘のいろいろ食べれたというものまでいろいろです。
ただ、朝、姉が来て、「菓子博、えらいこっちゃ、いったら大変や」と捨て台詞を寝ぼけ眼の私に言って、去っていったので、「それでは、確かめてみよう」と、息子とバイクにのっていきました。
すると、すすすすすごい人です。
普段は、休日は人もすくない、警察前の信号がどえらいことに・・・
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そんでもって、警察さんがいっぱい、パトカーも白バイもいっぱいです。
息子のバイクが50ccだったので、2段階右折のため、また、こっちの900CCのバイクもぴったし後ろにパトカーいたので、本当にドキマギしました。
御幸通りもひとがいっぱいです。みんなパンフを見ながら、あわてて歩いているので、ぶつかりやすいです。おばさんにぶつかり、腕が私の肋骨に直撃、あやうく骨折しそうでした。
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昼食時で、駅地下の食堂はどこもいっぱいでした。もうびっくりでした。
息子と、すごい人やなーと、姉の情報は正しいと思いながら帰ってきました。
チケット4枚もっていますが、果たして土日行くパワーがあるかが、問題です。
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by kazukunfamily | 2008-04-28 04:30 | 地域情報

野外で安心活動できるコミュニティづくり

昨日のつづきですが、先生方29人に、野外での造形活動について聞いてみました。
すると、複数回答で、校庭等でされている方が7人程度、学校の敷地以外では、2人程度です。
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外で造形活動できない理由は
安全確保と、時間確保でした。
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先日、農園を耕耘機で耕したあと、砂場をたがやしておきました。
スポーツテストでつかうからですが、放課後、子ども達が群がって、何かを作っていました。
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それも、学年の枠を超えて、砂場っていいなと思いました。
それも、土がいいですね、物というより、生きている感じがします。可塑性があるのでしよう。
そんな土、草、水とふれあい、自分たちが生きている場を確かめるのが、野外での造形活動と思います。
できない理由に、安全確保がありました。
たしかに、コミュニティが、個々人の価値観の多様性等により、崩壊しているといわれています。
だからそこ、今、地域を挙げて、子どもを守ろうと、老人会やPTA等の諸団体が、登下校等で見守り隊等の支援をして下っています。
ですから、地域の方と何かつくる、(造形でも、野菜でもいい)
そうすることで、「あっ、この子はどこどこ子や」と名前と顔がいっちし、よりいっそう、子どもを支える地域の目も深くなりますし、子どもも「この顔のおじいちゃん、おばあちゃんはええ人や」と
自分を守ってくれる人の情報を増やしていけると思います。
地域の環境に関わるものづくりが、コミュニティ作りにならないか研究しています。
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by kazukunfamily | 2008-04-26 22:46 | アートと地域

古本屋の2階はくつろぎの空間でした。

何度か紹介してきた古本やさん
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白いドアのほうに入って、奥の階段を上ってみました。
すると、
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ちょっと不思議な空間があらわれました。
ここは、絵本等にかんする小物等が、ありました。
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なんか、感じのいいソファーもあって、独特な雰囲気です。
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ここでお茶ものめるようです。
本好き人にはたまらない空間ですね。
姫路ナビポート(観光案内所)近くの路地です。
探し出したひとは、いい出会いがあるとおもいますよ。
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by kazukunfamily | 2008-04-24 02:15 | 地域情報

ワージ・クローンの作り方

今日は、あったかかったですね。子ども達と農園開きの準備をしていました。農園は広く、そこをこまめちゃんで、うねをたてるのは本当にしんどかったです。もう、握力がありません。
明日は、6年生にも手伝ってもらって、うねを整えます。がんばるぞ。
で、ワージ(ゴールズワージのこと)クローンの作り方です。

2ワージクローンの作り方。
(1)秋の山の色・形を生かしたつもりが・・ 
 この授業は山間の僻地校での行ったものである。授業後の感想カードでは「ゴールズワージは素晴らしい。その表現を辿ることは楽しい」と活動を評価していた。
授業者としてはめでたし、めでたしなのだが、カード全てが芸術家のよさ指摘し、
「ワージの作品を超える作品は無理だ」という感想のカードを読むと、はたしてこれでよかったのかという反省が生まれた。
芸術家の良さだけを教え込んだのかなと思っていたところに、子どものが記録した写真を見て落ち込んでしまった。

 実はこの実践は2部構成になったいた。一部は自分の力だけでも秋の里山での作品作り。2部は「ワージに挑戦」と題してワージの作品を鑑賞してから作品作りをおこなった。写真1は1部で写真2は2部なのである。
両者を見比べると写真1の方がオリジナリティ溢れ、作家観賞後よりずっといいではないか。どうして作家の作品を見せることが子どものオリジナリティを奪うのか疑問が膨らんだ。
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(写真1)
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(写真2)
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by kazukunfamily | 2008-04-21 18:05 | アートと環境

ワージ・クローンを作らない授業

1はじめに
 私は大学でゴールズワージの作品集に出会い、また、美術館で巨大なドローイングを見て彼に魅せられた。ゴールズワージは、自然の中に手以外、ほとんど道具も持たずに入り込み、木の葉や土、小石、茎、鳥のはね、雪などの自然の素材を使い、自らのいる場所や素材の持つ特性を生かしながら、自然界に一時的に新たな秩序を創造し、これを写真や紙にドローイングしたりして記録して発表する作家であり、日本でも1987年以来日本に数回来日し、三重県の大内山村・紀伊長島町、福井県和泉村、栃木県足尾町などで制作を行っている。
 魅せられた私は、彼の作品集を子ども達や同僚に紹介し授業やワークショップを行ってきた。高学年の造形遊びの授業作りに苦労している現場にとって、彼の芸術は材料や場所の持つ色や構成の美しさを感じ取り、それを元に発想して美しさをよりよく引き出すように想像力や創造的な技能を総合的には働かせることをねらいとする授業の最高のサンプルになるのである。 しかしながら、何度か自然素材を活用する授業としてゴールズワージの表現を参考にする内に危険な落とし穴に落ちていた。その落とし穴の危険性は、写真1が示している。写真は児童作品であるがまるでゴールズワージのコピーなのである。コピーという違和感は、以前からもあった。それは、美術教育雑誌等の実践報告の児童作品からも感じていた。多くが、どこかで見た芸術家のコピーの域から出ていない。
 そこで、コピーのような作品をワージクローンと自己の実践の反省を込めて呼んでいる。だた、決して作家の手法をなぞる授業全てを否定しているわけではない。彼の表現の意図を考え、なぞることで子ども達の自然を見つめる視野を広げることは意味がある。しかし、表現から一人一人の個性が見いだせなければ芸術家の表現に縛られているとは考えられないだろうか そこで、そんなワージクローンを生んでしまった私の実践から、失敗の原因を探り、その解決方法を見いだすことで子どもの一人一人が持つ力を生かした授業作りのあり方を明日以降のプログで示したい。
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by kazukunfamily | 2008-04-20 14:07 | アートと環境

みつばちぶんぶん2

この造形活動の授業は事前にみつばちに関わる活動をするといいですね。
みつばちの飼育など
そうすると、みつばちは「こわい」というイメージが先行しつつ身近に感じていたので子供たちの学びへの意欲は高かくなります。
 jこの実践をした子供たちは、実際に育てようとするミツバチたちがスズメバチに襲われ肉団子にされて連れ去られていくのを見たり、蜂が命をかけて作った巣を壊し、蜜や幼虫を食のために収穫する狩人としての自分たちの存在に気いていたようです。そして、生きることはきれい事だけでなく、様々ないのちのやりとりによって支えられて自分たちが生きていること、すなわち、いのちのつながりについて考えを深めていたようでした。
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詳しい授業構成は、ひとつまえの内容を見てください。
朝、投稿がうまくいかず、アップを登録できませんでした。
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by kazukunfamily | 2008-04-19 13:49 | 教授の図工実践

姫路菓子博はじまる!駐車場は?

姫路菓子博始まりましたね。
5月11日まで、開催経費はなんと10億円!すごいですね。
でも、それ以上に、お菓子職人さんの心意気は、数十倍の価値をうみだしているのでしょう。

お菓子の姫路城の周囲には、志村けんや草薙くんの人形もいるらしいとのこと、探しにいきたいですね。そして、何より、おみやげに全国のお菓子をかってきたいですね。

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(お菓子のおうちですね)

姫路の大学にいる息子と娘と話していたのですが、菓子博行くのに何が便利か?
車は駐車場探しが大変だじ、バスは混みそうだし、やっぱり原チャリ=小型バイクがいちばんかな。ということになりました。しかし、そのバイクもどこに置くのか、娘は、地下駐輪場の200円が一番安全!といっていました。普段だと城郭図書館にバイクを置くのですが、開催期間中はどうでしょう。わたしの900ccのバイクだと、フォーラス近くの行きつけの駐車場におくのがベスとかなと思います。

車の駐車場は、家具の「板文」裏の100円パークがベストでしょうね。
あいていたらラッキーですね。
確実なのは、姫路駅南の100円パークでしょうね。駅の近くにたくさんあります。
見学ルートは
駅南ーー御幸通りーー姫路城ーー菓子博ーーイーグレ姫路の温泉(姫路城を見ながら、お菓子でいっぱいになったおなかを温泉でいやす)ーー駅南の沖縄料理の店「海」で海ぶどうを食べる。
が個人的ベストですね。
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by kazukunfamily | 2008-04-18 22:42 | 地域情報

授業提案「おばけの道路標識」

・ねらい
・おばけの道路標識を考えさせることで,発想を広げさせ,「お坊さん注意」「もうすぐお墓」など発想豊かに,ユニークなデザインを工夫させる。

2 題材について
学校○○さんとか,子ども達はお化けが好きである。そのお化けと通学路でよく見かける道路標識とを結びつけて表現させる。おばけの標識をおばけと自分たちの身の回りの怖い場所との関わりを考えながら,おばけや自分にとって注意すること,気になることを考えさせて,おばけの標識をデザインさせる。

3 展 開
(1)通学路などにある気になる標識を写してきたり,本などから探したりして写す。そして,その標識の意味と周りの様子をシートに記入する。
(2)段ボールなどで実際につくり,校舎内に展示してみる。


例1、長電話お化け注意(長電話していると、電話お化けにはさまれるよ)
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by kazukunfamily | 2008-04-17 18:16 | 教授の図工実践

子どもといる技法(アート作品と理解)

奥村隆さんの「他者といる技法ーコミュニケーションの社会学」日本評論社
を読んでいる内に、私たち美術科教育の教師は、作品や制作活動で子どもを理解するといっているけど、ほんまかいな。子どもにっては、どうだろう。
子どもにとっての教師は他者。もしかすると、子ども達が「教師といる技法」を駆使して、
教師の授業につきあってくれているのかもしれないと、思いました。
そこで、奥村さんの著書を参考に、「アート作品と理解」について、すこし考えたいと思います。

奥村氏は、シュッツの「他者の心を対象とする認識は原則的にいって常に疑わしいく、自己の体験に向けられる内在的認識作用の原則的な明白さとは対照をなしている」をとりあげ、他者のこころの認識=理解は疑わしいと指摘する。
そして、結局「私」は、類型=常識的な思考の構成概念によって間接呈示的に類推して他者を理解するだけという。
そいうことで、「理解」の「過小」が生じる。
すなわち、他者はいつも「理解」では到達できない「過剰さ」をもっている。
だから、他者を理解できないこと、理解されないことへの苦しみを背負う。

一方、理解の「過剰」も考えられる。他者が私を完全に理解するという事態。ま、考えられないけど、もしあったら、それは、「こころ」の自由な働きはなくなる。絶望的な苦しみしかないと思われる。人はこころの中で「まちがう」ことが、こころの自由性を保証するから・・・

では、子どもも、先生も、他者といる技法は何かというと、

それは、「理解は過小」だか、それがあまり気にならない地点にたつこと。
すなわち、他者とは「わかりえない」けど、「いっしょにいる」ための技法、
他者を私が、私が他者を完全に理解することは、ほとんど無理なこと、だから、「完全に理解してくれないから、いっしょにいられない」「理解できないからいっしょにいられない」というふうに、思いこむと、この社会は成り立たない。
他者は、私が理解できない過剰な領域をもつものとして、自分の理解との「違い」につきあう技法がひつようになると思われる。

子どものアートから全部、子どもを理解できるというのは、まゆつばものということになる。
アートは子どものごく一部、その後ろに過剰な領域が存在している。
そんな、自分が理解できない子どもの「違いにつきあう」姿勢が教師に大切と思われる。

その「わかりあえない」まま「いっしょにいる」技法を奥村氏は示してくれている。
しかし、それは、この本を読んで、知ってほしい。
ヒントを言えば、それは、美術教師なら子どものアートをはさんで、よくしていることである。
でも、なかなか難しい技法と感じる。
(第6章、p218-257を参照にさせていただいた。)
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by kazukunfamily | 2008-04-16 20:13 | 子どもと表現活動

子どもと環境とアート教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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