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バンプオブチキンのコンサートでいろいろ考える。

水曜に,妻をつれていって大丈夫かなと思いながら
神戸でのバンプオブチキンのコンサートに2人でいきました。
まずは恒例のトラック撮影
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大阪でグッズが買えなかったので,ならんでやっと買いました。
でもすごいひとです。
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買ったのは,ピン付きのtシャツです。次回はこれを着ていきます。
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席はステージ近くのスタンド最前列でびっくりでした。
妻も,席がいいと見やすいわーといっていました。
曲と声がいいので,その心に届いていたようです。ほっとしました。
しかし,最後にDANNYを聞けて,びっくりでした。

現在,介護認定の母を見ている身で(ほとんど妻任せで,妻に感謝,夜見回る程度です)
彼らのダイアモンドという曲は,心を支えてくれています。
「弱い部分,強い部分,その実,両方がかけがえのない自分」
毎日,往復100キロの通勤,妻は姫路に住んだらといってくれますが,
だんだん小さく子どもに還っていく母を夜に見ることだけが,今の弱い自分にできることです。
大事なものはたくさんありますが,たぶんひつだけのこるもの,守りきらなければならないものは
家族なんだろうと思います。

いい歌は,人を助けるなーと思います。

この夏は,自分のため,家族のために 絵を仕上げようと思っています。
50代のテーマは「テントウムシ」です。(絵をみると分かりますよ)
by kazukunfamily | 2012-06-25 00:04 | 趣味・宝

カミーユ・ピサロと姫路城

ピサロの学校にきたポスターが気に入っていたので,県立美術館へピサロをみにいきました。
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で,展示の中で光っていたのが,モネでした。彼のすごさが身にしみました。
その後,元町に行き,服高いわ!と思い,姫路へ引き返しました。
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で,妻が一度みたいといっていた天空の白鷺にいきました。
屋根がずいぶんできあがっていました。職人さんすごいです。
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で,帰っていると爆睡中の猫を発見,姫路城の猫は幸せそうです
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by kazukunfamily | 2012-06-17 20:42 | アートと地域

(2)ダイオキシンにおびえる造形活動

 ところが平成9年に衝撃的な報道があった。宍粟の焼却炉排ガスから全国一のダイオキシン濃度が検出され、翌年には周辺土壌から高濃度のダイオキシンの数値が公表された。数回、見学に訪れた最新設備の焼却炉は、環境に負担のないすばらしい設備であると子ども達に説明していた。その施設への信頼が裏切られた。そして、文部省から指導があり、学校では紙さえも燃やせなくなり、焼却炉は封印された。そんな中、役場の友人からダイオキシンが発生する過程を聞いて、裏の川を見ながら深く後悔の念をいだいた。この毒は、塩化ビニル等を低温で焼却するときに発生する。野焼きは最もいけないと友人に指摘された。リサイクルに寄与する造形を行うため廃材を役立つ資源に変換させた思いこんでいた授業は、毒をみどり美しい郷里にばらまいていただけだったのである。 
 いいようのない恐怖感がこみあげてたきた。一つは山ひとつへだてた勤務校周辺にその汚染が及んでいるのではないかということ。もう一つは、廃材を活用した造形活動、特に材料や空間そのものから活動を展開する造形遊びは、下手をするとダイオキシン発生源を作る活動だとレッテルを貼られ、子どものものづくりにおける題材や素材選択の幅が狭くなり、片づけの簡単な業者の教材セットばかり使った授業が流行るのではないかということである。
 そこで、このダイオキシンへの不安感が、子どもの造形活動にどのように影響を与えているかを調べることにした。また、今までの図工の授業で作られた作品がどのように家庭等で処理されいるかも調べ、環境に造形活動がどの程度負担をかけているかを明らかにすることにした。まず、1998年の6月下旬から7月上旬かけて、当時勤務校だった僻地指定小学校(一宮町立三方小学校、2年20名、4年15名、6年17名を対象)と友人が勤務していた都市部の小学校(姫路市立安室小学校、2年30名、4年31名、6年38名を対象)において「家に持って還った作品を破棄するかどうか」というアンケートを実施した。
造形遊びで作られる作品は活動行為そのものを楽しむので完成後は分解されるのだが、「この部品は気に入っているので持って帰りたい」と作品を持って帰宅する子も多くいる。気に入って持って帰るのだが、低学年で20%、中学年で30%、高学年では40%が家庭のゴミ箱へ消えていた。「何かよく分からないゴミみたいなもの」と保護者の理解が得られず廃棄されているようだった。一方、飾りなどに使う目的で作った作品ついての廃棄率は、使う目的があっても平均20%が捨てられていた。両方のアンケートとも都市部の方が廃棄率が高いことから作品の保管場所に困り、年末に廃棄されることが多いらしい。ただ、問題なのは作品の廃棄率が高学年ほど高いことである。低学年ほど作品への思い入れがあるのかもしれないが、高学年は環境保護に関わる学習や活動を一番多く経験しているはずである。しかしながら、自ら造り出したものへの拘りが余りないのか、ためらわず破棄している姿からは、人間が生きることは少なからず環境に負荷をかけているという意識があまり育っていないように思われた。
また、子どもを指導する教師の環境保全への意識はどうなのかを調べるため、1998年の3月に宍粟郡内の教師(宍粟郡内公立小学校図画工作科に関わる教師、男性5名・女性11名)を対象にダイオキシン問題後の造形活動を行う際の配慮事項に関するにアンケートを実施した。題材・素材に関するアンケートによると(、自然素材を活用したり、リサイクルへの配慮をしている教師は27%にすぎず、64%が「授業後の廃材処理は役場にまかせておけばよい」と人任せの姿勢が感じ取れた。この姿勢は、素材置き場の分別が不十分という形で現れていた。郡部の教師にとって都市部に比べて雑草や森の強靱な回復力を見慣れているためか「ダイオキシンもそのうち何とかなる」という「環境への甘え」がその根底にあるのかもしれない。しかしながら、従来のようなゴミの処理ができなくなったのも事実で、ゴミとして出せる作品や素材の大きさや種類に苦心しているのか、生活廃材を活用した造形活動は都市部より郡内の方が少なかった。
 「教師はダイオキシンに怯え逃げているのではないか」という心配は的中した思いだった。。今後の造形活動への不安感がひろがった。この廃材利用減少で抱いた不安は、6年後、深刻な形で表れてた。まだ、アンケートを実施したわけではないのだが、勤務校をはじめ郡内の諸学校では材料をもとにする造形活動すなわち造形遊びは、あまり実施されていないのである。教員同士の会話から理由は2つ考えられた。一つは教師や子どもがイベント疲れしていることである。新しい教科書や総合的な学習が導入されてから、「博物館づくり、**発表会を開こう。」など共同でおこなう調べ物や掲示物等づくりに追われて、ものづくりに疲れているのである。もう一つは、作品が残らず掲示も難しい上に、材料の用意や片づけの分別に時間がかかるのが、造形遊びを避ける理由らしい。県教委の教育課程説明会で「とにかく造形遊びをおこなって下さい」と主事が指導していることからも、現場の教師がイベント化した活動と造形遊びを同じに捉え、片づけの大変さや評価の難しさから、造形遊びの実践に尻込みをしている現実がかいま見れる。ダイオキシン等のゴミのもつ危険性へのおびえが、表現する姿から子どもの心や成長を読み取れるよい機会である造形活動の場を奪うことに一役買っていたのである。
by kazukunfamily | 2012-06-10 02:29 | 博士をめざす方へ

2 ゴミにおびえる図工1。

2 ゴミにおびえる。
(1)知らないことほど怖いものはない
小学校のころからゴミ焼き場の清掃という当番によく当たっていたように思う。新任のころもゴミを燃やす担当で、子供たちとともに焼却炉の下から灰を集め、木の根っこに埋めていた。今、考えれば空恐ろしい、一度、卒業記念の木を枯らしてしまったことがある。「なんでやろ?」とそのとき思っていたが、今では「灰が原因だ」とはっきり言える。
児童の作品を燃やして処分した体験で忘れられない2つの光景がある。一つは昭和61年の絵画制作・図画工作・美術教育研究兵庫大会でおこなった「城の守り神」という6年生の実践である。姫路市のシンボルである姫路城の鯱を題材に、「とにかく大きな作品をつくり、見る人を引きつけろ」というアドバイスの元、数万個アルミ缶の城がデコレートされた会場校で公開授業をおこなった。学校にあった発泡スチロールとダンボールを芯材に、市内からかき集めた一体あたり130kgという土粘土で、自分の夢の城を守る鯱を作らせた。参観者の評価は高く、私は得意満面だった。しかし、困ったことが起きた、130kgの土の固まり5体の処分である。会場から大型トラックに乗せられて帰ってきた作品は、乾いていなかったので尾などが折れてぼろぼろだった。剥がした粘土は練り機を使って再生できたが、問題は芯材である。そこで、子ども達と焼却炉に入る大きさに解体して授業の空き時間の午前10時頃から2時間程かけて焼いた。中庭の焼却炉で焼いていると、4階の教室の窓から先輩の先生が「何やっとるんじゃ、教室に黒い煙がきとる」としかられた。「すみません、窓を締めて下さい。」と叫び、全教室が窓を閉める中、芯材を焼き切った。とにかく処分しないとじゃまだったのである。近所は住宅地だったのに苦情は来なかった。環境破壊へ意識が低かったのか、ある意味でいい加減だった。しかし、中庭を漂う黒煙の光景、今でも目に焼き付いている。
 二つ目は、県大会にむけての図工科研修会でおこなった平成9年の「夢がぶらぶら、20年後へのタイムマシーン」という6年生の実践である。教室内にテントを2つはり、それをタイムホールに見立てて、5年後のエリア、10年後エリアというように、各エリアにその年代の自分の夢をぶら下げてゆく。テントの天井は全て段ボールで覆った。当時、私は、豊富な材料や用具を子どもに与え、選択の幅を広げることで子どもの創意工夫があふれたのびのびした表現が引き出せると思っていた。期待通り、子ども達は遊び時間や放課後もやってきてホール作りを楽しんだ。後かたづけのことなどは何も考えていなかった。仕上げとしてみんなでホールをくぐって感想を述べ合い、解体した後、廃材の量に頭を抱えた。およそ200kg以上、ボンド、針金、さまざまな接合法が行われているので分別は難しかった。他校への飛び込みの授業であり、分別にこれ以上子どもの手を借りられなかった。また、商店街や住宅地の中にあるということで学校ではすでに焼却炉の使用は禁止されていた。そこで、トラックに積み自宅に持って帰って、裏の河原で野焼きをした。あまりに黒煙があがったので、隣の派出所のお巡りさんににらまれたが、分別できない多量のゴミを地区の置き場に出すと隣保長に怒られるし、隣の自転車屋も段ボールを燃やしていたので燃やし切ってしまった。
今では条例で厳しく取り締まられているのだが、そのころは野焼きはあちこちで見られた。橋の上から生がゴミが流れ、上流の川にはまちが一匹浮いていることもあった。野焼きや生ゴミ捨ては当たり前の見慣れた光景だった。しかし,今では考えられない行為である。
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by kazukunfamily | 2012-06-05 19:30 | 博士をめざす方へ

ゴミを生かす造形活動 その1

週末は,陸上大会の引率でばたんキューでした。(子ども達はよく走りました。入賞したsくんyさん,おめでとう)ブログの更新がないときは,フェイスブックをしていますので,橋本忠和で検索して下さい。何をしているのか,たいがいバイクと愛犬がうつる映像ですが,近況がよくわかります。

で,今日から新シリーズ「ゴミを生かす造形活動」です。
1 はじめに(ゴミがあつまる図工室) 
「捨てればゴミ、生かせば資源」ということをよく聞く。しかし、年度末に図工室の材料棚に集まってくるものを見ると「これが資源?どう生かすの?」という気になる。教材見本、使いかけの色画用紙・包装紙、発泡スチロールなど教室での学習活動から生まれた不要物が図工室にやってくる。新年度に向けてのはじめの仕事は、これらの分別から始まる。分別中に固まった紙粘土やブロンズ粘土を見つけることがある。「どないするの?ここゴミ置き場やないのだから。」とつぶやきながら、細かく砕いて土に埋めたり、学校のゴミ置き場に運ばれる。そして、各教室から集まり図工室で分別されたゴミは、不要机や壊れたプランター等と共に軽トラで地域の美化センターへ運ばれる。センターでゴミを種類ごとの置き場におろしながらセンターの職員の方も「なんやこれは?」とゴミを見つめて言われているのではないかと思った。このようなゴミをなんとかしようと取り組む者が直面する失望感の裏には、とにかく目の前が美しくなればよいと思っている人間の甘えがある。
  ここ数年、美術科や環境教育の本に「リサイクル造形」という題のものをよく見かける。トレイや紙パックなどをゴミとするのではなく資源として再利用し環境保全に関わる活動をものづくりを通して体験させようとしている。しかしながら、図工室を片づける者として、このリサイクル造形に関わる廃材や作品の分別ほど手間のかかるものはない。とにかくゴミを材料として別の形にすれば、「環境保護の精神が育める。後は持って帰って使ってね、飾ってね。」でいいのだろうか。本当に飾られ使われているのか、家庭で分別可能なのか、と疑心暗鬼になる。
 教師は捨てられるゴミを使えるものに換え、「使い→捨てる」という資源の流れを「使い→使い」の流れにのせたと思っているようであるが、その流れを最後まで見ている者としては、「使い→使い→捨てられない」という処理不可能なゴミを教師が「教室から消えれば後は知らない。」という「甘え」により生み出しているように思える。「とにかくゴミを資源として使えばよい。」というリサイクル造形の考え方を今一度、改め、本当に「ゴミを生かしきる造形活動」とはどんなものなのかを考察すべきである考える。そこで、今までの私の実践からゴミに振り回されてきた造形活動を見つめ直し、「ゴミを生かす造形」とはどういう活動なのかを明らかにしたい。そうすることで、授業時数減や造形遊び不要論などで何かと逆風の吹く造形教育の現場に、リサイクルに関わるものづくりという形だけでなく、学習プログラムの中で造形活動が根っことなり核となる実践を提案できるのではないかと考える。
by kazukunfamily | 2012-06-04 20:43 | 教授の図工実践

子どもと環境とアート教育の関わりを生かした図画工作科教育の実践的研究


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